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  • 03/29/16:03

12.07.19:03

トラトラトラ

トラ・トラ・トラ!』 (TORA!TORA!TORA!) は1970年に公開された、1941年の日本軍による真珠湾攻撃を題材とする日米共同で制作された戦争映画である。

当時10歳だった私は、家族とこの映画を見に行った。。今思えば、、なんて家族なんだろう(笑)
小学4年生だろうか?毎年、クラスごとで作る、ガリ版の「思い出」にも、私は、この映画のことを書いている。

「パールハーバー」ジョシュ ハーシュネット演じる主人公が、演じるアメリカは、やっぱりアメリカで憧れの対象です。トラトラトラを見たときにも、こんな映画を作れる(合作)アメリカって凄いな~って思っていました。

明日、12月8日 真珠湾攻撃の日
私たちのころにも、現在も教科書には大きく取り上げられない、「ハルノート」成るものが有ります。
ご存知の方には、常識でしょうが、ベトナム、湾岸、イラク戦争を見ているとアメリカと言う国は、、って思ってしまいます。戦争の戦争たるところでしょうけど、事実として知っていることは大事ですよね。

引用が、ほとんどです。。。(とても、自分の言葉では書けません)

「アメリカが日本に送ったと同一のものを他国に通告すれば、非力なモナコ公国やルクセンブルク大公国と言った欧州の弱小国でさえ、必ずやアメリカに対して自衛の為に武力を以て立ち上がったであろう・・・」

これは「東京裁判」(極東国際軍事法廷)において、長文からなる判決趣意書を以て、堂々と「日本無罪論」を展開した、パール判事の言葉です。日本が好むと好まざるとに関わらず、「対米開戦」を選択せざるを得なかった理由、それこそ、アメリカが日本に突きつけてきた『ハル・ノート』だったのです。

『ハル・ノート』(Hull Note)。正式には、『合衆国及び日本国間の基礎概略』と言い、開戦前夜の昭和161126日、アメリカ国務長官、コーデル・ハルが日本政府に通告してきた文書で、これを読んだ日本側はアメリカ側からの「最後通牒」と解釈したのです。

当時、日本は、アメリカ(AmericaA)・イギリス(BritainB)・支那(ChinaC)・オランダ(DutchD)による、いわゆる「ABCD包囲網」と呼ばれる対日経済封鎖網によって、石油・ゴム・タングステンと言った資源のほとんど全てを供給停止(禁輸)されていました。つまり、日本には外から、工業生産は元より日々の生活に必要な資源が何一つ入ってこない状況に立たされていたのです。考えても見て下さい。もし現在、当時と同様に海外から資源の供給を停止されたら・・・。石油一つ採っても、自動車・航空機・船舶を動かす事が出来なくなってしまいます。それは、過去二回味わった「オイル・ショック」の比ではありません。その様な状況に半世紀前の日本は立たされていたのです。だからこそ日本は、天然資源が豊富な南方(仏印や蘭印)への進出を真剣に考えたのです。そんな状況下にありながらも、日本は日米戦争を回避すべく、ぎりぎりの条件を提示して日米交渉の妥結を願ったのです。その条件「甲案」とは、

[甲案](概要)

1.    日支(日本と支那)間に和平が成立した暁(あかつき)には、支那に展開している日本軍を2年以内に全面撤兵させる。

2.    支那事変(日華事変・日中戦争)が解決した暁には、「仏印」(フランス領インドシナ=現・ヴェトナム)に駐留している日本軍も撤兵させる。

3.    通商無差別待遇(自由貿易)が全世界に適用されるなら、太平洋全地域と支那に対してもこれを認める。

4.    日独伊三国同盟への干渉は認めない。

と言った内容であり、更に、「甲案」での交渉決裂に備えて、日米戦争勃発を未然に防ぐ為の暫定協定案として「乙案」も用意したのです。

[乙案](概要)

1.    蘭印(オランダ領東インド=現・インドネシア)での物資獲得が保障され、アメリカが在米日本資産の凍結を解除し、石油の対日供給を約束した暁には、南部仏印から撤退する。

2.    更に、支那事変が解決した暁には、仏印全土から撤退する。

要は、日本に対する経済封鎖が解除され、石油等の資源が供給されるのであれば、資源確保の為に南方(仏印や蘭印)へ進出する必要性が無くなる。それと引き替えに、日本も、支那・仏印からの全面撤退に応じる、と言っているのです。この事については、駐日英国大使、ロバート・クレーギーが帰国後、政府に提出した報告書 ── いわゆる『クレーギー報告』にも、

「日本にとって最大の問題は「南進」(仏印・蘭印への進出)では無く、耐え難くなりゆく「喉輪(のどわ)攻め」(レスリングの攻め技の一つ。ここでは「経済封鎖」を指している)を何としてでも振り解(ほど)く事だった」

と書かれており、日本の南方進出が「領土的野心」等では決して無かった事を物語っているのです。そして、この日本案については、「東京裁判」の際、弁護人を務めたアメリカ人・ブレークニー氏も、

「日本の真に重大な譲歩は東条内閣が作成した「甲案」であり、「甲案」において日本の譲歩は極限に達した」

と言っているのです。つまり、日本側は対米交渉において、これ以上は応じられない程の最大限の譲歩(最大限の「値引き」)を提示したと言う事なのです。しかし、それに対してアメリカは、117日に「甲案」を、1120日に「乙案」をも拒絶し、1126日、日本が到底受け入れる事の出来ない『ハル・ノート』を突き付けて来たのです。

「ハル・ノート」(概要)

1.    日本軍の支那・仏印からの無条件撤兵。

2.    支那における重慶政権(蒋介石政権)以外の政府・政権の否定(つまりは、日本が支援する南京国民政府=汪兆銘政権の否定)。

3.    日独伊三国同盟の死文化(独伊両国との同盟を一方的に解消)。

早い話が、日本に対して、「明治維新」(1868年)以来、血の滲(にじ)む様な苦労をして営々と築いてきた、大陸における一切の権益を全て放棄しろ、と言ってきたのです。これは、アメリカに対して、王国を滅ぼして併合したハワイや、ロシアから買ったアラスカ、更にメキシコから「戦利品」として奪ったカリフォルニア・ニューメキシコ・テキサス等の諸州を全て放棄し、建国当初の東部十三州に戻れ、と言っている様なものです。到底、受け入れられる様なものではありません。そして、こんな条件を突き付けながら、一言も、「経済封鎖」の解除には触れていないのです。これでは、日本に「死ね」と言っている様なものです。かくして、日本は、自らの「生存権」(生きる権利)を賭けて、「対米開戦」と言う「カード」を選んだのです。つまり、アメリカは、日本に好むと好まざるとに関わらず、「対米開戦」と言う選択を取らせたと言う事です。それを物語っているのが、『ハル・ノート』が日本側に突き付けられた翌日、1127日の朝、ハル・国務長官が、スチムソン・陸軍長官に言った言葉、

「私は日米交渉から足を洗った。今や、この問題は貴方とノックス(海軍長官)、すなわち陸海軍の手中に落ちた」(ベアード『ローズヴェルト大統領と戦争の到来』)

だったのです。つまり、ハル・国務長官は、日本が、『ハル・ノート』を到底受け入れない事、そして、否応なく「対米開戦」に踏み切るであろう事をはからずも「吐露」しているのです。「大東亜戦争」において日本はアメリカに敗北し、「東京裁判」において日本は「悪」の汚名を甘受させられました。

スティムソン陸軍長官は、真珠湾攻撃10日前の日記に、ルーズベルト大統領との会見時の発言として「我々にあまり危険を及ぼさずに、いかにして彼ら(=日本)を先制攻撃する立場に操縦すべきか。」と書いている。

「トラトラトラ」の映画の最後で
山本五十六連合艦隊司令長官の発する有名なせりふ「眠れる巨人を起こし、奮い立たせたも同然である」は史実ではない。。。アメリカにはめられてます。当時、わたしも、そう思った。。

あの当時、植民地政策は大国の常識であり、日本だけの問題じゃない。実際、当時有色人種の国で独立国家と呼べたのは、日本とタイだけのようなものである。そう思うと、白人が日本に対して話し合いをすること自体が、ありえなかったのかもしれません。。。

誤解を招くといけませんので、、
戦争賛成、反対、とか、右とか左とかに、まったく興味は有りません。
ただ、66年前の12月8日の事は、史実として知っておかなければならないのではないかと。。。。
真実から、どう判断し、どう行動するかは個人の自由ですから。。

長文失礼しました。

 

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無題
2007年12月08日土

こんにちは!
現在いろんなブログ応援しています。
応援ポチッ!

Re:無題
ありがとうございます。ポチしておきました。
2007/12/10 11:14

外交
2007年12月09日日

外交とは「祖国のために偽りを言う技術」。 by 悪魔の辞典

そして、「歴史は勝者に都合の良いように書き換えられる」

日本の外交官は 祖国が相手国 に置き換わっている。
これは、自称 日本を代表する クォリティーペーパー の某新聞社にも責任の一端があると思います。

欧米と交渉するときには、彼らのテーブルから如何にこちらのテーブルに引き寄せることが出来るか。
交渉ごとにおける彼らの最高の褒め言葉は タフ・ネゴシエーター ですね。
日本は、ネゴシエート する前に ごもっともか、交渉を中断するかと言っちゃうんでしょうね。

聞くところによると アヘン戦争に関するイギリス背府の公式見解は下記の通り。
「一民間企業である東インド会社が何をどうしたのか政府は一切関知しない」
でも、ちゃっかり香港を植民地として占領した。
中国がイギリスに文句を言ったという話は聞いたことがない。

オランダ・ベアトリクス女王は訪日時に国会演説で
「第二次世界大戦時にオランダの捕虜は日本軍からひどい扱いを受けた」と述べられました。
それを聞いたインドネシアの人々は「我々が植民地時代にどれだけひどい扱いを受けたか」と怒った。

つい最近も、中国で日本軍が遺棄していったとされていた毒ガスも、譲渡したという
文章が出てきたらしいのですが、文句言われたらごめんなさいとお金出して。
こんなものは氷山の一角でしょうね。

民主党も嬉しそうに大挙して押しかけてって。
昔も今も、政権交代しても日本に外交という言葉はないのでしょうね。

Re:外交
先輩、コメントありがとうございます。
某新聞社も、某テレビ局も、報道の自由をどこかで履き違えているのかもしれませんね。政治を見ていても、不安になることがとても多い。大丈夫とはとても思えない。。が、がんばってもらうしかない。
某、私たちが所属していた団体の長も、靖国参拝を内政干渉とはっきり言った事は驚きだったし、地元の団体は子ども達を靖国へ連れて行く事業をしていました。明確な想いと意思を行動に表すことは決して悪いことではないし、それが出来なければ、話し合いや交渉なんて出来るはずもない。のらりくらりで、得たものに価値があるとは思えない。
自己肯定派のおばかさんです。。
2007/12/10 11:12

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